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トルコのヒーロー宮崎淳さん | 銅像や初めての外国人国葬にも

2018年7月16日放送の

世界の村のどエライさん【海外イクラのピンチを和食が救う!トルコでスゴイ日本人】

 

で「トルコで有名な宮崎(ミヤザキ」さんが紹介されました。

 

世界で有名な宮崎と言えば映画監督の宮崎駿さんですが、実は日本とトルコを結ぶ宮崎さんは宮崎淳さんという方なんです。

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トルコのヒーロー宮崎淳さん

何故トルコのヒーローになったのかというと、原因は

2011年10月に発生したトルコ東部地震

にあります。

 

この大地震の支援を行うためにトルコ入りした宮崎淳さん。献身的な活動をされていました。

 

しかし、残念なことに同じ年の11月9日に発生した余震が原因で宿泊先のホテルが破壊されてしまいました。

 

宮崎淳さんは瓦礫の下敷きとなってしまい帰らぬ人となりました...

宮崎さんの当時の年齢は41歳でした。

 

トルコではこれを受けて、遠く離れた日本という国から救援活動に訪れてくれた宮崎淳さんへ敬意を表して「アツシ・ミヤザキ小学校」や「アツシ・ミヤザキ公園」など、宮崎さんにちなんだ施設名が多く存在するようです。

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トルコには宮崎淳さんの銅像がある

そこまでトルコ国民に愛されることとなった宮崎淳さん。

トルコ側は宮崎淳さんの銅像まで作ってくれています。

 

上の銅像はミヤザキ・パークと名付けられた公園に飾ってくれているようです。

彼がトルコの人々にどれだけ愛されているかが伝わってきますね。

 

日本人として宮崎淳さんの存在は誇りに思うべきことですね。本当に素晴らしい方だと思います。

宮崎淳さんはトルコで初めての外国人国葬

国葬と言えば、よっぽどの要人でないとされないと思います。

ましてや外国人を国葬するなんて通常では中々考えられないことではないでしょうか。

 

ところが、なんと宮崎淳さんはトルコで唯一国葬された日本人となりました。

 

いえ、トルコで国葬された外国人は宮崎淳さんだけだそうで、トルコで唯一国葬された外国人となったんです。

 

もともと宮崎さんがトルコへ救援活動に行ったのは恩返しがしたかったからなんだそうです。

 

2011年3月11日に発生した日本大震災の現場で活動していた宮崎さんはトルコからの救援隊が必死に活動しているのを目の当たりにして、いつかその恩を返したいと思っていたそうなんですね。

 

国と国との間には外交摩擦や敵対関係など様々ありますが、このストーリーは我々に感動と希望を与えてくれる忘れてはいけないものだと思いました。

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